当事者と部外者

彼らは現場にいた当事者だったし、活動するごとことさらにそれを前面に押し出したりはしていなかった。「サンドイッチマンを見たら震災を思い出す」と言われて「震災を忘れないで!」ではなく「もっと面白くしよう!」という極めて真っ当な反応に売名の匂いはしない。

私が違和感を持つのは、当事者でもなかった人間が妙に当事者ぶることだ。

悲しむのも義憤にかられるのもなんらかの呼びかけも悪いとは言わないけれど、しょせん部外者に過ぎない自分を自覚していないと、自分に気持ちよくなっているのが透けて見えてしまう。彼らや名前を出して活動する有名人を売名と叩くのも同じ手合いのように思う。 

被災者ではなかったが何年にも渡ってチャリティを開催し続けたあるアスリートの

「震災を通して、亡くなった人たちのこととか絶対にわからないし、理解することは出来ないと思っている。これがうわべだけの気持ちとか思われるかもしれないし。奥深い気持ちを理解するのは難しいし、これがおせっかいかどう受け取られるかわからないけれど、ちょっとでも助けになれば」

という言葉は、一見被災者を突き放しているようでいて、部外者であることを最大限に自覚した中で自分に何ができるかを問うているように感じられる。

■「僕らはあの津波を目の当たりにした」サンドウィッチマンの3.11

(TOKYO FM + - 03月10日 20:10)

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